53日
お正月の雰囲気もすっかりなくなってもはや日常...とふけっていたら、まじでお正月なんて言っている人はおらず、完全に日常な1月下旬であった。
1月、終わるの?もう?
日常がどんなに尊いことかということを痛いほど思い知った年始。
今年はこれ以上のつらいことがないように。
みんなが心穏やかに過ごせるように。
お年玉付き年賀状はすべて外れたのは、私が今年本厄だからであろう。
先週高校時代からの友人と、連れだって厄払いに行ってきた。
1年ぶりの西新井大師は、相変わらず大いに賑わっていた。
私たちが参加したお護摩の回は200人を優に超える人々が参加しており、広いお堂はぎゅうぎゅうだった。
いまいち祈願に集中できなかった私は、この空間で200人が一斉にお祈りしてるんだなあ、とか、
隣に座っていた家族連れのおちびちゃんズの言動ににまにましたり、祈願料と参加人数から1回のお護摩で西新井大師が得る利益(利益って言わないのかな?)の計算などをして30分弱を過ごした。
我ながら邪念がすごすぎる。
だって、お護摩を終えて去っていくお坊さん方の背中に向かって「ばいばーい、また来てね」って。かわいすぎんか。
迷いながら辿り着いた住宅街にあるレストランでラグーソースのパスタを食べながら、知らなかったLINEの機能を知るなどしたあと、みんなでバスに乗って夕食の買い出しへ向かった。
大人になってから、友人と一緒に出掛ける機会はぐんと減った。
それでも偶にこうして訪れる、連れだって電車やバスに乗る時間が好きだ。
ナイル川のように蛇行する話にゴールはなく、それでもひひひ、と笑えるのだ。
食べたいものを買い込んで、友人達を我が家へ連れて帰りのんびりごはん。
スパークリングワインを飲み、昔の話をしながら、テレビではSnowManのBlu-rayを流す。ゆるゆる飲み最高。
友人の1人が間もなく結婚10周年ということで、時の流れの速さにビビる。
ついこの間、この友人の結婚式用に撮影したムービーのデータを発見したところだ。
次回はそのムービーを観ながらお酒を飲めたらいいな。
友達と話していたら泣けてきた今年のあれこれを備忘録として
毎年12月が近づくと、「暦の上ではディセンバー」を思い出すよなあ。
とか思っていたら、いつの間にか11月は終わっていた。
2023年はあと1か月もない。
今年、私は長年勤めた会社を退社した。
新卒から10余年、やる気と勢いだけで達成してきたいくつかの数字は、今はもうほとんど意味のないものになっている。
最後の数年は仕事への情熱をゆっくりと失ってゆくような尻すぼみの日々で、
私の性格もどんどんすさんでいくようだった。
育児と仕事のバランスってむずかしいよね。
と一言で言えば簡単だし、よく聞く話である。
その当事者になるなんて、若い時の私は思わなかったよね。
実際育休から復帰した最初の2~3年は、勢いだけで踏ん張っていた。
若かったし。
大人な対応をできずにキレ散らかしながら(私が)、泣く子と格闘し、自転車のチャイルドシートに乗せ力ずくでベルトをはめて鬼の形相で保育園へ。
仕事を上がる時間になれば、文字通りダッシュで帰るために駅の地下道を疾走した。
汗をかきながら迎えに間に合った!と思いきや、子どもはもっと遊びたいと言い、大荷物を背負いながら私は死んだ目で虚空を見つめた。
そして夜になると、「寝ている子の顔を見て今日も怒りまくってごめん」と謝る。
翌日ももちろん早番出勤。
挙げたらキリがないが、私には余裕がなかった。
余裕がなさすぎて、どうにかしたいと考えるきっかけもなかった。
余裕はないけれど、少しずつ子どもと意思疎通が取れてきて「少しは楽になったかな(当社比)」と感じてきた矢先、新型コロナウイルスの登場。
夫は当面の間リモートワークで勤務、ということになったが、
出社せねば何もできない私は、自宅待機を余儀なくされた。
しばらく経ってどうにか勤務先の営業は再開したが、徐々に扱っている商品と世相のギャップを感じるようになってしまった。
そうすると、「そういうものか」と思っていたことも悪い意味でどんどん気になってしまう。
詳しくは記さないが、日々心の中で毒づくという残念な女(私)が爆誕。
誰も嬉しくないし、健康的ではない。
極めつけの出来事によるストレスで心が荒れたらしい私は、夫からの言葉を勝手に悪く解釈して家で泣くようになった。
子どもの前でもおかまいなしで、感情をコントロールできず夫を大層うんざりさせ、不安定な私を子に見せた。
そしてある日、子どもはおそらく無意識に、私を真似するような口調で泣き叫んだ。
ショックだった。
ごめんね、ごめんね、と子どもに謝った。
そして、会社に対しての信用を失ってしまったとき、
もう無理ダナーーーと感じて、私は譲歩できずに逃げた。
なんかもうさ、この文章を打ってて涙が出てくるよ。
「好きだったし、向いてる仕事だと思ってたのにな」
あんなに頑張った日々が、経験が、実績がなくなってしまった。
長く一緒に働いていた人たちに挨拶もできずに辞め、今でも連絡を取る勇気はない。
今は細々と働きながら、以前より子どものサポートができている(と思ってる)。
いきなり小学校から保護者参加のお知らせがきても自分の判断で対応できる。
そして驚いたのが、ここ数年悩まされていた片頭痛が緩和され、服薬が減った。
退職していいことづくめというわけでもないが、ひとまず上出来だろう。
思い切った決断を、正解にしていきたい。
できる範囲で頑張ろう私。
来年は本厄だ。
ポソンはじめました。
「ポソン」というものを知っているだろうか。
私は5年ほど前、漫画家の瀧波ユカリ先生のTwitter(当時はTwitterなので、以下もTwitterで失礼します。現Xです。)で存在を知った。
ポソンは簡単に言うと、韓国産の超絶あったか靴下。
瀧波ユカリ先生のTwitterによると、「冷えがちな足を包み込んでくれるもこもこの裏ボアと、謎のカラフルな花柄が大変ノスタルジックな代物」らしい。
なにより「履く肉」という、先生ならではの痺れるようなパワーワードが私の心を鷲掴みにした。
「履く肉」て。すごくない?
冬場しばらく外にいようものなら、足のつま先は凍え固まり、感覚がなくなるのは普通。
ついでに手も手首から指先まで冷えるので、ハンドウォーマーなくして眠ることはできない。
若い時からこんな調子で汗もかきにくく、冷え性の鏡のような人生だった。
しかしコロナ以降のここ2~3年、休日は意識的に歩くことを続けていたらかなり汗をかけるようになった。
冬でも15~20分も歩けばじんわり汗をかく程度には、代謝がよくなってきた実感があった。
だがどうだ。
朝起きるとひんやりしてきて、素足にスリッパだと冷える。
あんなに代謝が上がったはずのに、末端まで血液を送るポンプは育っていない。
代謝とはなんぞや。
ポンプは課金アイテムなのか。
瀧波先生は、毎年冬になるとポソンの素晴らしさをTwitterで語っていらした。
それを見るたびに「今年こそ買う」と意気込むのだが、なんだかんだ先延ばしにしていた。
「ゆうてもルームソックスも靴下もたくさんあるしな~」と、スルーしていたのだ。
この時のわたしよ、見ておくがよい。
わたしは今年、すでに1度ポソンに遭遇していた。
友人のYちゃんと新大久保の路地裏をぷらぷら歩いていた時に、店先のワゴンにわっさーっと積まれていたのだ。
「あーッ」と思いながら、日差しの強さとのどの渇きに負けてカフェへ逃げ込んでしまった。
それから数日。
瀧波先生がツイートしていたのだ。
「ポソンでお馴染みの新興商会さんが、ミドルポソン5足セットを100セット限定で送料無料キャンペーンやってる」と。
「わお」と声が出た。
数年買おう買おうと思いながらなんとなく見送っていたポソン。
ちょうど数日前に見て、そこにきてこのキャンペーン。
これはもう、運命。ばばーん!
そこからの記憶はあまりなく、購入ボタンを押し、クレカ情報を入力して、気が付けばスマホの画面に「ご注文ありがとうございます。」の文字が。
残りは97セットということは、キャンペーン3番乗りだ。
3はわたし的ラッキーナンバーなので、「しめしめ、さすがわたし。」とひとりごちる。
普段Twitterは見る専門で、つぶやくとしても誰かのツイートをリツイートするだけのわたし。
このときばかりは、瀧波ユカリ先生へキャンペーン情報へ感謝と、購入したことの報告リプをしてしまった。
瀧波先生、ありがとう。背中を押してくれて。
新興商会さんの発送業務は迅速で、購入した3~4日後に手元に届いた。
これが5年恋焦がれたおばあちゃん的花柄!!(褒めてる)
袋から出すと小学生の娘用かと思うほど小さく見えて、「サイズ間違えた?」
と一瞬不安になったのだが、なんのことはない。
めちゃめちゃ伸びる。
わたしの足という肉を飲み込み、ポソンという生き物が息を吹き返したかのよう。
めちゃくちゃだけど、そんな感じ。
あと、イメトレはしていたけど本当に暖かい。
伸縮性のある生地が足にフィットして、キツさはないけれど程よい締め付け感が何とも言えない。
発熱するわけではないのに不思議と爪先が冷えで痛くならない。
よくあるルームソックスだと履いていても爪先だけ冷え冷えなのだけど、ポソン、すげえ。
今回はミドルポソンを購入したので、次回はぜひロングポソンを手に入れたい。。
黒無地のスタイリッシュポソンもあるらしいが、欲しいのは俄然、頓智気柄。
あっという間にポソンにもうメロメロ。
引き返せないねこりゃ。
ポソンとわたしの物語は始まったばかりです。ふふふ。
眩しすぎるものを見ると目には良くはないと実感した日
いつもより少し遅めの午後3時過ぎに散歩へ出た日。
遊歩道の先にある芝生の広場には、ベンチの役割をするブロックがある。
ちょうど学生の帰宅時間帯で、そのブロックには高校生の男女が並んで腰かけていた。
ぴったりとくっついて座り、仲良さげにおしゃべりをしていた。
学校帰りにちょっと寄り道をして、恋人とおしゃりデート。
いいねえ。
なんて頭の中でひとりごちながら、広場を通り過ぎる。
30分ほど近所を歩き、さあスーパーに寄って夕飯の買い物をして帰ろうかね、、
と広場に戻ると、
先ほどのカップルが芝生でキャッチボールをしていて
日が沈み始めた空はとてもきれいに澄んでいて
学校の指定バッグは適当にベンチに置かれていて
無邪気に笑いながらボールを追いかける彼らの笑顔が眩しくて眩しくて
私の目は潰れた。
動けない土曜日と引き換えに得たものは
新型コロナワクチンの5回目を摂取してきた。
前回の摂取が2022年5月だったので、1年半近く久しぶり。
今回はXBB.1.5という種類のワクチンを打ってもらったのだが、予約段階でこんな種類が増えていることを知った。
前回まではファイザー/モデルナくらいの選択肢しかなかったはず。
なかった!と言い切れるほどの記憶力は全く自信がないので、濁しておく。
1〜4回目は同じA病院にしていたのだが、今回予約したB病院には、友人が勤めているのだ。
「受付にいたら、(予約はしているが)予告なしにいきなり来た私を見て、驚くだろうな。
その顔を見てにやにやしよう、、へっへっへ」
という、中学生かよというアホな目論みを胸にB病院へ。
「コロナ摂取会場はこちら」の先には立派な仮設診療所のような建物があり、病院の本体(本館?)にさえ入ることはできなかった。
いきなり出鼻を挫かれた。
わかるよ、みだりに感染確率を上げるわけにはいかないもんね、、。
あとで友人にはLINEしよ。
あとはいつものように、問診票や身分証を提出し、順番が来たら問診&ワクチン摂取。
「とにかく(摂取箇所を)もまないこと!」と看護師さんから2回念押しされ、
「私、そんなにふざけて押しそうと思われたのかな」
などと考えながら待合所で15分やり過ごし、帰宅。
順調に左上腕部が熱を持ち筋肉痛のような痛み。
そうだったそうだった、この感じだ。
翌朝は熱は微熱位だけどとにかくだるくて、
朝ごはん→4時間寝る→昼ごはん→3時間寝る→お風呂→夜ごはん→夜もしっかり寝る。
という、ごはんとトイレ以外はという1日を過ごした。
これは、あれだ。もはや赤ちゃんの生活。
私はこの日赤ちゃんだった。
寝しなにぐずることのない大人しめの赤ちゃん、、。
体調は翌日にはほぼ回復した。
朝、洗顔後の顔を夫にまじまじと見られ、子曰く
「なんか顔ツヤツヤしてない?、、はっ!睡眠不足が会社されたからか!?」
どうやら前日たんまりと睡眠をとったおかげで、私の肌は輝きを放っていたようだ。
いつもは寝る前にだらだらいじるスマホも一切触らず、眼精疲労も回復、、。
ああ、早いところインフルエンザの予防接種も打たなければ。
今年もあと11週間というのは本当ですか
「今年があと11週で終わる」と、ジェーン・スーさんが数日前にラジオで話していた。
全ラジオリスナーの驚きの声が聞こえるようだ。
私ももれなく声を出して驚いた。
「え?は?うそでしょ?!」と。
驚きすぎて、会う人会う人に「今年あと11週だって!!」と言って回った。
今年は仕事を辞め、日々散歩をし、小学校に上がる娘のフォローをした。
ただただ、その繰り返しで今に至る。
きっと残りの2か月半も白目をむくようなスピードで過ぎ去るのだろう。
土日祝も連休も、年末年始も関係ない仕事を10数年以上続けていた。
業界的にはそれが当たり前で、「連休なにそれおいしいの?」状態。
だけど、早めに入った産休で約10年ぶりに何もしない正月を過ごした年、私は感動した。
大晦日も、3が日も、家にいてよいのだ。
お笑い特番とニューイヤー駅伝を行ったり来たりしながら寝落ちし、起きたら母のおせちをつまむ。
なんという至福。
「年始から出勤だから正月太りしなくていいわ~」
と強がっていた自分よ、お疲れ様よ。
無限ごろごろ寝正月、最高だぜ。
今年の年末もゆったりできそうだ。(なぜなら就活進んでいないから!)
昨年末は一般的な日に最終出勤日をむかえ、家族で私実家に泊まりに行ったのだが、
胃腸風邪と思われる発熱によりダウンしてしまい散々だった。
コロナやインフルの対策を引き続きしつつ、今年は健康な胃を携えて実家でおいしいものを食べて呑んで楽しく過ごせるといいな。
20年ぶりに除夜の鐘をつきに行くっていうのもいいね。
寒いし甘酒飲めないからやっぱ行かないかな。
選択肢があるということは尊いことだね。
おじさんと秋の空
空は秋晴れ、今日も散歩日和。
近所の遊歩道には木漏れ日が差し込み、歩くだけで心地良さそうだなあ。
普段あまり通らない道だけど、行ってみよう。
遊歩道の先には、高台へ上り下りするエレベーターが設置されている。
階段や坂道もあるが割と急なため、この4〜5人程を運べる、小さめのエレベーターを利用する高齢者が多い。
ほら、今も列になってエレベーターを待つ人たちがいる、、
ん?なんか揉めてるっぽい。
ドアの開いているエレベーターの中に、おじさんwith自転車(Aさん)が1人。
そしてもう1人のおじさんwith自転車(Bさん)が、強引に一緒に乗り込もうとしている。
そして2人はおそらく他人。
いや、どう見ても無理じゃん。
Bさんは、自分も自転車も半分以上外に出ている。
Aさんwith自転車とBさん単身なら一緒に乗れる余地はあるだろうけど、自転車も一緒にはどう考えても無理っしょ。
待とうよ、多分だけど2分も待てば乗れるよ?
という状況。
Aさん「無理!」
Bさん「え??」(たぶん天然)
Aさん「無理!無!理!」
Bさん「え???」(間違いない天然)
歩くスピードを緩め横目で見ていたところ、上記のとおり不毛な会話を繰り返しており、まるでベタなコント。
ちなみに、揉めてるAさんBさんの後ろにもう1人おじさんwith自転車(Cさん)が順番待ちしていた。
Cさんは少し離れた位置から事の端末を静観していたけど、あなたも早くエレベーター乗りたいなら声かけてあげれば良いのでは。
それ以上見ていると私も変な人になってしまうと思って名残惜しくも通り過ぎてきたけど、決着ついたかな。
私がBさんに「無理だから次待ちなよ」って声をかけてきたらよかったかな。
遊歩道を進むと、保育園のお散歩に出くわして一気にニコニコしてしまった。
そしてさっきの出来事を思い出す。
人は年齢を重ねると、角がとれて丸く穏やかになるタイプと、凝り固まってガチガチになるタイプがいるよなあと。
もちろん両方を兼ね揃えている人も大いにいるだろうし、両方とも当てはまらない人もたくさんいるだろう。
AさんとBさんがそれぞれ、普段どんな人物かは知らないが、私の未来はきっと後者に近いと予想する。
そして噛み締めによる摩耗で削れてきている奥歯は、ミチミチと音を立ててさらにすり減っていくのだろう。
、、将来のために、私もマウスピースを真剣に考えるべきか、否か。